読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あわ(1)

 今日が二十歳の誕生日だったことに気づいた五分後に日付は変わった。十年前のあたしはこんな形で二十歳を迎えることを想像していただろうか? あのころあたしはいつまで経っても自分が大人にならないことを信じて疑わなかったし、それから十年経ってハタチを迎えた今でもあたしは大人になれなかった。昔は通過儀礼を終えたら次の瞬間にはもう大人になれたらしいがどうして現代もそうしてくれないのだろうか、初めてたばこを吸ったときも酒を飲んだときも男と寝たときもあたしは子供のままだったしゆっくりと大人になっていくという実感すらもてないまま時ばかりが過ぎていく。ただ高校で成長の止まった体が古くなっていくのを感じているだけだ。まあそんなこんなでこのたいそうな田舎のアパートでうつぶせになって虫の声を聞き流している間にあたしは二十歳になった。

 このアパートにはもう二年住んでいる。高校を出て家も出て大学に入って寮にも入ったがあたしはすぐに駄目になって学校をやめた。そこで当時付き合っていた男のアパートに転がり込んでバイトをしたりしなかったりしてだらだらと過ごしていたら男がそんなあたしに愛想を尽かしたのか部屋を出て行った。おいここはお前の部屋だろう、と文句を言おうとしたときにはもう連絡は取れなくなっていた。男は電話番号を変えメールアドレスを変え、あたしとの接点を完全に消し去って出て行ったのだ。そのままあたしは少ない貯金を潰しながら家賃を払ってこの部屋で生き続けている。この部屋はあの男が女を連れ込むために見栄を張ったのかそこらの学生にはなかなか手が届かないグレードの部屋で、仕送りもない無職のあたしがこんな部屋に住んでいたらいずれは破産する。計算すればあと半年ももたない。さっさと安い部屋に引っ越しをして命を繋げなければならないのだが、新しいことをするのにはなにかとエネルギーが必要とされる。今のあたしにはどうやってもそんなエネルギーは捻出できない。

 適当に酒をあおってぐでぐでになって眠っていたとき、携帯電話がけたたましく鳴り出すのであたしは飛び起きる。何時なんだ今は。目覚まし時計のライトをつけると四時半だということが分かる。深夜の四時半であり朝の四時半だ。なめてんのか。チャラチャラと鳴り続ける携帯にあたしは酒の眠りの余韻もあってなんとも腹立たしい気持ちでその電話に出る。知らない番号からだった。
 もしもし、とその女は言い、続けて申し訳なさそうに吉岡と名乗った。吉岡? どこの吉岡?
「夜遅くにごめんね。寝てた?」
 当たり前だ。だからお前は誰なんだ。
「あの、私、中学の時の吉岡だけど、覚えてる?」
 中学の吉岡、中学の吉岡……あたしは中学の時の記憶を必死に思い出そうとするが中学時代の事なんて高校に入った瞬間にすべて忘れてしまったのでまったく思い出せない。
「もちろん覚えてるよ。どうしたの? 誰か死んだ?」あたしは意味もなく不機嫌に言う。
「死んでないよ。クラス会やるんだって」
「クラス会?」
「そう。中三の……」
 死んでも行くか。
「へえ、そうなんだ。わざわざありがとうね。おやすみ」とあたしは無理矢理電話を切ろうとするが吉岡はあわてて場所と時間を告げる。
「は? 明日?」
「明日っていうか、もう日付変わってるから、今日なんだけど……」
 なんでそんなに直前になって伝えるんだ? あたしが無職だからってなめているのか? ひょっとしてあたしだけ呼ばないとかそういう感じにされていたのだろうか?
 吉岡はそのあと中学卒業後のことなんかを話し出したがあたしは強烈な睡魔が襲ってきて、適当にあうあうと相づちを打っている間にあたしは眠りにつく。

 夕方になってあたしはようやくベッドから起きあがる。腹が減った。冷蔵庫を開けるが賞味期限切れの牛乳くらいしかない。期限は昨日。大丈夫、まだいける。あたしはそれをラッパ飲みする。しかしそれはすぐになくなる。洗ってたたんでポイと捨てる。これだけでは腹は満たされないのであたしは化粧はせずに顔を洗って着替えてコンビニへ向かう。
 アパートの近くのセブンイレブンは店員がムカつくので今日はスルーして遠くのローソンまで歩くことにする。てくてくてくてく。平日の夕方に外をひとりで歩く二十歳無職女。これからあたしがコンビニでカップラーメンとか弁当とかを買って帰ってアパートで食って寝るということをすれ違う人は想像するだろうか? あたしは世間にどう見られているのだろうか? だがとことん世間体というものを気にせずに生きてきたあたしには今更そんなことは知ったことではないし気にもならないので考えるのをやめる。
 アパートからの細道は国道へと出る。あたしは国道をガードレールにそってあるく。やがてローソンの看板が見える。
 さて何を食うか。あたしは手に取った二つのおにぎり、鮭おにぎりとサーモンおにぎりの違いについて熟考する。鮭という単語から連想するのは焼き鮭とか塩鮭とかなんか和風でしょっぱそうな感じだがサーモンといえば回転寿司でマヨネーズがのっかって出てくる洋風な感じだ。マリネとかあとはムニエルとか。鮭のムニエル。あたしはそれが好物だ。たいして料理は出来ないが鮭のムニエルだけには自信がある。小麦粉をまぶしてオリーブオイルで焼く。皮をカリカリにするとすげーうまい。考えただけでよだれが出てくる。だがここからスーパーは遠いので鮭を買って帰ることは諦めて今日のところはサーモンおにぎりで我慢することにする。あとはダカラとUFOとチキンラーメンサッポロ一番の袋麺をかごにどさどさ入れ、サラダとザ・テレビジョンとカロリーメイトウィダーインゼリーも入れる。あとは、あとは―――そうだ、忘れていた、あたしはバイト情報誌をかごに突っ込む。
 レジ打ちがあたしに、おにぎりは温めますかと訊ねる。うーんどうしよう? 当然具によって温めた方がいいものとそうでないものは決まっている。今回の場合はサーモン。寿司のサーモンは冷たいのであたしは断ることに決める。えっと、あたためないでいいです。
「えっ、あっ! あーっ」
 なにごとだ? 店員が突然パニックに陥る。強盗でも来たか? それとも店にトラックでも突っ込んできたか? あたしは昨日見たテレビを思い出す。アメリカのコンビニに大型トラックがガラスをぶち破って店に突っ込み、商品棚とかレジとかとにかく店の外装と内装のすべてをなぎ倒して破壊したところを防犯カメラが撮影していた。あれは痛快だった。だがこのコンビニの場合そんな様子もなく客はあたしひとりしかいない。何事だ。
「いつきちゃん!」
「は?」
 あたしは間抜けな声を出す。あたしの名前は伊月でありこの女の店員は確かに今あたしの名前を叫んだのだ。だがあたしの方には店員に見覚えはない。なんだかややこしいことになってきた。こんなことならわざわざ遠い方のコンビニではなく近い方のセブンイレブンにしておいた方がよかったのかもしれない。
「ちょっと待ってて、あと五分でバイト終わるから……えっと、中入っててもいいよ、あの奥なんだけど」
 あんたは誰だ? あたしはもちろん遠慮する。さっさとかえってサーモンおにぎりを食べたいんだよあたしは。だが店員はなんだかあわてた素振りであたしを中に誘導する。いいから。いいからじゃねえよ。
 半ば強引にあたしはコンビニの奥の控え室のような部屋へ連れて行かれ、ここで待っててと言って店員はまたレジに戻る。さて妙なことになった。控え室にはしょぼい机と椅子が置いてあり、机の上にはポテトチップスの袋が全開になっている。ほとんど残っていない。これは食ってもいいのか? あたしは腹が減っていたので勝手にそれをつまむ。机の上のモニタには防犯カメラの映像が映っているのでそれをぼんやりと眺める。客も殆どいないので静止画ばかりでつまらない。
 そしてここで夕食を買ったことを思い出して、おにぎりを食うことにする。海苔を破らないように注意深く開封する。そーっと、そーっと……成功! 慣れたものだ。バリリと音を立てておにぎりにかぶりつく。この瞬間がたまらない。だがしかしサーモンおにぎりの中身は普通の焼き鮭だった。騙された! 鮭おにぎりとサーモンおにぎりの違いはただ単にメーカーとかシリーズの違いだということにあのとき気がつくべきだった。これはこれでうまいがあたしは騙された気分でいっぱいだ。畜生。一気におにぎりを食って詰まったのどにダカラのデカいペットボトルをラッパ飲みして流し込む。それにしても米とダカラは合わねえ。
 五分経つと店員は部屋に戻ってきて、レジにはトイレから出てきた男の店員が入る。
「ごめんね、無理に引き留めちゃって……」
 ホントだよ。帰っていいか? あたしをどうする気だ? 拉致か? あたしは親とは縁切れてる感じだから身代金は期待出来ないぞ。
「今日、クラス会でしょ? 一緒に行こうと思って」
「クラス会?」
「え、昨日電話したじゃない、あ、昨日じゃなくて今日か」
 そうだ。なんだか聞き覚えのある声だと思った。昨日の電話の吉岡だ。それにしてもクラス会なんかには死んでも出る気はないのでどうやってこの場を切り抜けて帰宅するかを考える。
「人違いじゃない?」
 苦し紛れのことを言ってみる。通るか? あたしは麻雀の駆け引きのような緊張感を覚える。
「何言ってるの……どっからどう見てもいつきちゃんじゃない」
 通らなかった。次の策を講じる必要がある。
「クラス会なんて行きたくないんだよ、あたしは」
 正直に言う。それが一番だと悟る。
「どうして?」
「どうしてって、そりゃあ……」
 と、そこであたしは言葉に詰まる。どうしてあたしはそこまでして行きたくないんだろう?
「だいたいなんでこの時期にクラス会なの? しかも当日に言われたってこっちにも予定とかあるし」
 論点をずらしてみる。ていうかそもそも予定なんて無い。一日中部屋で寝ることが予定といえば予定だが。
「ごめんね……」
 吉岡は申し訳なさそうに謝る。そんだけかよ。
「ところで幹事は?」
「松島さんなんだけど」
「松島?」
 その名前を聞いて余計に行く気が失せる。あの女が幹事だなんてろくなもんじゃねえ。
「あーパス。帰る。本気で帰る。じゃあね」
 強引に連れ込まれたあたしはさらに強引に部屋を出る。
「待って待って! 送っていくから」
 吉岡はごめんね、ごめんね、と言って(他に言うことがないのか)外に止めてあるキューブにあたしを乗せる。車は駐車場を出て国道に乗る。
 ん? そういえば吉岡はあたしのアパートの場所を知ってるのか? そして嫌な予感はバッチリ的中しキューブは国道をアパートとは反対方向に走り始める。はめられた!
「おい! こっちじゃない!」
 吉岡は不敵にふふふ、と笑う。大丈夫かこいつ? というかこんなキャラだったっけか。
「このまま村さ来に行くつもりだろ」
「うん」
「止めても無駄なんだな?」
「うん」
 決心は堅いようだった。
「そうでもしないと、いつきちゃん来てくれないでしょ?」
「あっ、ていうかあたし着替えてない。買い物の荷物もある。全然準備できてない。金もほとんど持ってきてない」
 あたしは思いつく限りの文句を言う。しかもちゃっかり吉岡はいつのまにかローソンの制服から着替えてやがる。
 だが沈黙の末に吉岡は一言。
「大丈夫!」
 何が大丈夫だ。キューブは国道を走る。