緊張感を伴った読書との付き合い方―『読書力』『本を読む本』

本を読む本 (講談社学術文庫)

恥ずかしながら、人生においてあまり多く本を読んでこなかったという後悔がある。 興味のある認知科学系の本や、業務上必要になったビジネス書を移動時間などに時間をかけて少しずつ読んだりはしているが、やはりもっと読書のために時間を作ってまとまった量の活字と向き合うべきだと思い立った。 知識を得るためというよりは、それ以前にまずは読書習慣を身につけ、読書力を底上げしたいと考えた。

というわけで、今年は一年で本を50冊読むことにした。 こういった量を目標にするのは馬鹿げているという向きも否めない。また、そもそも量が少なすぎるという気もしている(@kentaro さんは去年268冊読んだという)。

とはいえ、一つの指標にはなるので、こういった指標を持つのは分かりやすくて良い。そして年間50冊という量については、私の読書スピードが壊滅的に遅いというハンディキャップを考慮すると、現実的な目標だと考える。

そして読んだ本は ブクログに記録しつつ、このブログにまとめを書くことにした。

話は変わるがマーク・ザッカーバーグは2015年の目標として「毎週新しい本を読む」というのを今年のチャレンジに設定したようだ。

そして「年間50冊」を始めるにあたって、まずは読書に関して書かれた二冊の本を読んだ。齋藤孝『読書力』と M.J.アドラー, C.V.ドーレン『本を読む本』である。

読書力

読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)

『読書力』は、日本の若者の読書離れを嘆き、自己形成の手段として読書を提案している。沢山の本を読み、本を自らの血肉としていく方法として、たとえば以下の様な手段を挙げている。

  • 文庫100冊、新書を50冊読む
  • 全集を読む
  • 自分の本棚を持つ
  • 音読や読み聞かせをする
  • 3色ボールペンで線を引きながら読む
  • 読書仲間を作って本の内容についてコミュニケーションする

『読書力』では、読書力の基準として文庫100冊、新書50冊を読んだかどうか、という指標を提案している。そして、娯楽書はこの数に含まないという。 本書によれば、推理小説は娯楽書らしいが、古典文学は娯楽書ではないという。娯楽書かどうかの判断基準がきわどい本もある。その例として歴史小説が挙げられている。 娯楽書かどうかの判断は「精神の緊張を伴う読書」ができるかどうか、が基準であるという。どの程度の本が自分にとって緊張を伴うかというのはその人の読書レベルにもよるので、十把一絡げに娯楽書と切り捨てるわけではない、この表現は気に入った。

『読書力』は教養主義の啓蒙書としての向きが強いと感じた。また、著者の主観で書かれた精神論が多く含まれており、ところどころで疑問を感じる点があった。たとえば、「本は背表紙が大事」「本棚が大事」「本の並べ方が大事」といった話は、著者がそういった行為が好きだという話であって、主観に過ぎない。「本は借りるものではなく買うもの」という節もあるが、これも賛否あるだろう。客観的に正しそうな論説の中にこうした著者の思い入れの話を、あたかも一般的な事実であるかのように混ぜ込まれている点に関しては賛成できない。

本を読む本

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

  • 作者: J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン,外山滋比古,槇未知子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1997/10/09
  • メディア: 文庫
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『読書力』を啓蒙書と位置づけるなら、『本を読む本』は読書技術について書かれた純粋な技術書であると感じた。主観の入る余地はなく、しつこいほどに丁寧な論理展開がなされている。

『本を読む本』では、本を深く掘り下げていけるようになるための、四段階のステップを提案している。

  • 第一段階: 初級読書
    • 出てくる文章、単語を順番にそのまま読んでいく読書。文字が読めるようになって最初に体験する読書。「その文が何を言っているか」を理解する段階。
  • 第二段階: 点検読書
    • 系統立てた拾い読み。「その本は何について述べているか」を理解する段階。
  • 第三段階: 分析読書
    • 取り組んだ本を完全に自分の血肉と化するまで徹底的に読み込む読書。きわめて積極的な読書。
  • 第四段階: シントピカル読書
    • 一冊だけではなく、一つの主題について何冊もの本を相互に関連付けて読むこと。それらの本にはっきり書かれていない主題を発見し、分析できるようになるとされる。もっとも複雑で組織的な読書法。

本書では上記の四段階それぞれについて、必要な原則と、得られる効果について系統立てて説明されている。第三段階「分析読書」に耐えられる本は、論理的に整理された名著でなければならず、言いたいことを順番に書いたような質の低い本はこれに耐えられるものではないが、本書自体がこういった分析読書に耐えられるような緻密な構造になっており、興味深い。

第四段階『シントピカル読書』については、非常に高度な技法であり、研究行為に近いと感じた。Google で検索すると、このシントピカル読書を実践している(と自称する)人を見かける。単に同分野の複数の本を読んだだけという人もいるように思える。

両書を読んで

『読書力』でも『本を読む本』でも、ある本を「分かった」と言えるかどうかは、その本を要約できるかどうかであるとしている。両書について、「分かった」といえるほど完全に読み込んだと言い切れる自信は無いが、こうしてブログにまとめることでその第一歩としたい。

両書を比較すると、『読書力』は、複数の分野の本を読んで自己形成を行う方法を中心にして書かれており、『本を読む本』はどちらかといえば、一冊の本、もしくは一つの主題について深く掘り下げる技術について書かれている。『本を読む本』は読書という行為に対して非常に貪欲かつ緻密に書かれた良質な本であった。手元において定期的に読み返し、今後の読書をしていく上での指針としようと思う。